はさみさんTumblr

日本の政治家がサウジアラビアに「この国は石油が豊かでうらやましいです」と言ったところ、「我々には水の豊富な日本の方がはるかにうらやましいです」と返されたとか。

中東やアフリカや中央アジアなど水の不足している国にとっては水がふんだんにある日本人が「わが国は資源のない国」なんて言っているのを聞けば「ふざけんな!」という感じでしょうね。

加えて水産資源の豊富さも日本は破格な部類です。

要するに「日本は資源のない国」というのは「日本人は水と平和を只だと思っている」という理論から来ているんでしょうね。

世界的に見れば水とか塩とか人間生存の根本に関わるような資源に困っている国の方が遥かに多く、

周辺海域のいたるところで水産品が取れる日本なんてのはむしろ天国なんでしょうね。

おそらく、この「日本は資源のない貧しい国」という言葉は

明治以降の日本の対外進出を正当化するために作られた言葉かと思われます。

「日本は狭く資源がないのだから対外進出しないと生き残れない」みたいな理論で、

少なくとも明治以前の日本人に「日本は資源のない貧しい国」なんて概念はなかったでしょう。

そして、この言葉が戦後でも生き続けているのは「日本は資源がない貧しい国だからアメリカとの戦争に負けた」という正当化理論と

「日本は資源のない貧しい国だから勤勉にならなければならない」という理論からでしょうね。

挫折しまくった経験から言わせてもらうと「最低10回くらい挫折してから諦 めよう」だ。「1回くらいの挫折で諦めるなんて、お前は天才にでもなったつも りか!」などと思うわけである。

成長の種 - ひら
おおおお!グッと来るぜえ!
2007-10-15

短期的に10回挫折すんのは疲れるんだよね。それは、わかる。だけど、だいたい挫折して断念するやつは、短期的に成果を求めすぎ。ちょいちょい挫折してもいいから、人の意見に左右されず、挫折しても戻ってこれるよう長いペースで物事にチャレンジする環境を用意すること。

(via mcsgsym, naha) (via katoyuu)

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/02/22(金) 08:05:48.17 ID:d5pH/vpk0



エイム力測定フラッシュ
http://www.albinoblacksheep.com/flash/shoot
F  【知的障害者】 FPS以前にパソコンの操作が怪しいレベル
E  【おじいちゃん】 70代くらいの方ですか?
D  【PC初心者】 ネットサーフィンには問題ないんじゃないッスかねえ(笑)
C-  【FPS初心者】 練習あるのみ おそるおそる狙いを定めてる感じ まさか経験者ってことはないよな?
C  【才能ゼロ】 これで経験者?確実に運動音痴だろお前w
C+  【糞noob】 こういう雑魚を狩れるからFPSは楽しいんよwww
B-  【絶対弱者】 お前知ってる チーム戦でよく足引っ張ってるやつだろ?
B  【引き立て役】 お前を表すのにぴったりの言葉がある 『村人A』
B+  【普通】 可もなく不可もなく 経験者なら残念ながらセンスなし
A-  【まずまず】 FPS歴1年くらいかな? 未経験者ならセンス◎
A  【ツワモノ】 たいていの部屋でフラグ上位いけるレベル 一番楽しい頃 未経験者なら上位3%の才能
A+  【最上級者】 経験者の上位2% チーム戦では常にエース 未経験者なら上位0.2%の才能
A++ 【ド変態】 FPS世界大会上位レベル 未経験者?お前今すぐ日本代表になれ
A+++ 【人間?】 どう考えてもヒト科のスペック超えてるんだが・・・

最近は「欧米なら~なのに」という話を読んでも「外国人旅行者が親切な日本人を賞賛!」系の話を読んだときと同じ感想しか抱けなくなった。意識高い国際人が僕の心を汚した罪は重い。
acqua:

「個人的みつあみの描き方」/「ひとま@通販してます」のイラスト [pixiv]

筆者があらゆるドラクエ関連のレビューを読んだ中で、一番スリルがあり鬼気迫る読後感と感動を覚えたのが『CURE キュア』imageなどの作品で知られている黒沢清の著書『映画はおそろしい』imageに掲載されていたドラクエⅡに関するエッセイである。以下そのページを引用しよう。

「FFⅢをめぐる対談記事の中の、高橋源一郎氏の発言を読んで、ハタと膝を打ってしまった。氏は”やはりドラクエⅡが最高である。ドラクエⅡには殺意が感じられた”と語っている。 
 そうなのだ。ドラクエⅡ。あれは確かに凶暴なゲームだった。プレイヤーが手塩に掛けて育てたキャラを、容赦なく皆殺しにしてしまおうとするドス黒い意志が全編を支配していた。ダンジョンの奥底でやっと見つけた宝箱を前にして、突如出現したキラータイガー四頭立てによる先制攻撃。それは悲惨としか言いようのない状況だ。バタバタと死んでゆく仲間たちは、棺桶と化して教会へ送り返される。この屈辱から立ち直るのは並たいていのことではない。 
 いったいいつの頃からだろうか。RPGがキャラを育てるゲームであるという認識が一般的になっていったのは。確かに、主人公がだんだん強くなってゆくのを見るのは楽しい。所持金がうんとたまれば、思わず顔がほころんでしまう。しかし、お金や魔法値を精一杯節約し、取れる宝は全部取って、最短コースでゴールに向かうだけがRPGではないはずだ。終了した時、100万Gたまっていたからといって、いったいなにが楽しいのか。巨大なドラゴンのボスを一刀の元に斬り捨てたからといって、何が偉いのか。RPGが効率よくコトを進めればよいだけのゲームに成り下がってはならない。 
 ドラクエⅡに戻るべきである。たかがマンドリルくんだりにボロ負けして、命からがら城へ逃げ帰ったことを思い出そう。あれは、はっきり生きるか死ぬかのゲームだった。キャラを育てようなどと考える余裕はなく、僕たちはただ何とかして生き残ることだけを考えていた。ふと気付くと、確かにキャラは成長しているのだが、そんな満足など吹っ飛んでしまうほどの凶悪な罠がすぐ先に仕掛けてある。でも、僕たちは負けなかった。 
 最初、城の周りを逃げ腰でうろつくだけだった自分が、いつの間にか強靭な意志と勇気を持って死に挑みはじめる。ドラクエⅡは、そんな自分自身のけなげさに涙するゲームである。 
 はっきり言おう。RPGとは、断じてキャラを成長させるゲームではなく、プレイヤー自身が成長してゆくゲームなのだ。」(P.186-187)

 
 ここで言われているドラクエⅡとはもちろんFC版のことである。後にリメイクされたSFC版とGB版は難易度が大幅に下がってしまった。つまり、本物のドラクエⅡを体験するならばFC版でなければならないのである。
 
 FC版ドラクエⅡの存在は、一種のホラーである。筆者も子供のころ体験したロンダルキアの洞窟の地獄は、はっきりと「悪夢」として記憶に刻印されている。やっとの思いで命からがらロンダルキアの洞窟を抜け出したら、そこは一面雪景色だった。ああ、なんて綺麗なんだと感嘆し、数歩踏み出すとさらに凶暴なモンスターがウジャウジャと現われてきたのである。
 
 FC版ドラクエⅡは『バイオハザード』や『サイレントヒル』シリーズより「おそろしい」ゲームであった。
10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/31(木) 10:12:09.01 ID:tcDh0e7T0


スク水がいいってより、


「自分で選んだわけじゃないユニフォーム」



だからいいんだ



自分で選んだ水着だと



「私かわいいでしょ、見て見て」



感が出てしまって何かこう





14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/31(木) 10:13:08.51 ID:H5T2yThei
»10

真理だな




19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/31(木) 10:15:27.81 ID:DjBODpKI0
»10

なるほど


何でいいのか分かった気がする

女子高に通っていた頃、今で言うアラサー男性教諭が二人、同時期に赴任してきた。もちろんどちらも妻帯者だ

中高一貫だったのでその二人(とロマンスグレー校長)は私を含む多数の生徒達(と一部の独身女性教諭から)人気があった

しかし、この二人が校内で会話してる所を見た者はおらず、廊下ですれ違う時も互いに視線すら合わせずすれ違うだけだった

そのため、この二人が何かの理由で険悪な関係である事は生徒達の間で半ば常識となり、触れる事はタブーとなっていた

そしてそれぞれの先生のファンの間に派閥のような空気が生まれ始めていた

そんなある日、決定的な出来事が起きた。2月14日であるバレンタインデーである

何時限目かの授業が終わり、二人が廊下ですれ違う

それほど頻繁にあるわけではないが、この瞬間は周囲の生徒達の間にはいつも緊張が走る

そしていつも通り、二人は言葉を交わすこともなく、まるで互いが互いを存在していないかのように通り過ぎた、その瞬間であった

「あ、おい、○○!!」

すれ違った直後、男性教諭(こちらをA先生としよう)は思い出したようにもう一人(こちらをB先生とする)に声をかけたのである

しかも姓ではなく、ファーストネームの方を、呼び捨てで、口調は極めて自然に、まるで授業中に生徒を指名するかのように

今でも忘れない。二人がいた階全体が一瞬で静まりかえった。これから一体何が起こるというのか、周囲のおそらく百名近い女子高生が固唾をのん

A先生は教材入れ代わりに使っていた鞄のポケットから、赤い包装紙に包まれた、小綺麗な小箱を、数メートル離れたB先生に放り投げた

「ほれっ」

縦に回転しながら放物線を描いた小箱は、B先生の胸元へと飛び込んだ

B先生小箱を片手で受け止め、数秒まじまじと見つめ、A先生視線を移した

「何これ?」

B先生の問いに、A先生は少し照れくさそうに答えた

「××ちゃんから頼まれた」

B先生は少しあきれたような表情と口調でA先生に言った

「お前、自分の嫁さんをちゃん付けで呼んでんのかよ」

A先生が応酬する

「お前だって呼んでたじゃねえかよ」

B先生が渋い顔をしていると、A先生さらにたたみかけた

「言っとくけど、俺のより高えんだぞ、それ」

「へいへい」

B先生はそう吐き捨てて足早に去って行った

私はこの日ほど、次の授業の受け持ちがどちらの先生でもない事を恨めしく思った事はない

何のことはない。B先生には年の離れた妹さんがいて、この学校に赴任する少し前にA先生結婚していた、というのが事の真相である

A先生は奥さんであるB先生の妹さんから職場で兄にチョコを渡すよう頼まれていた、ただそれだけだったのだ

この1分足らずのやりとりは私が卒業するまで校内で半ば伝説、半ばネタとなった

私が知る同級生の中には、想像力暴走させて道を踏み外す(ある意味ではその道に踏み込む)者もいた

この二人が校内でまともに会話をしているのを直接見たのは、この件を含めて片手で数える程度だったが、

今もそろって元気に母校で教鞭を執っているという

20130512013759 (via ag107)
  『探偵ナイトスクープ』という番組は、ときどきハッとするほど優れた企画を見せてくれる。先日は、番組でおなじみのシェフを起用したイタズラを放送したが、外見がプリンそっくりの卵豆腐を作り、プリンと偽って食べさせ感想を求めると、決まって「不味い」と答えていた。実は、出汁を利かせた最高級の料理で、卵豆腐と知って食べると、誰もが美味しいと答えるのだが、プリンと信じて食べたときには、生理的に不味く感じているような身体反応を示す。さて、ここで問題。「美味しい/不味い」は1次的な感覚のように思えるが、そうではないのだろうか。
 味覚は、甘い/塩辛い/苦いなどの1次的な要素の組み合わせに基づいて引き起こされた連鎖の全体である。芸術による感動が、作品によってもたらされる複雑な環境の連鎖全体で形作られるのと同じように、「美味しい/不味い」という判断は、味の知覚を契機とする連鎖--生理学的には中枢神経系の興奮パターンであり、心理学的には種種の観念連合となる--に依存している。したがって、プリンに見える卵豆腐を食べたときの感覚は、プリンを食べるとどうなるかという予測によって形成される準備電位の影響を受けることになり、予測と反する場合には、最高級の卵豆腐であっても不味いと感じてしまう。(7月15日)
2011 (via imeige)
映画って、「その歳に見た」ってことが、すごい重要なの。
「年老いて見ても傑作」とか「何度でも見られる」なんて、思い出の映画をフリーズドライして冷蔵庫にしまっておきたい、高齢者のたわごと。
年寄りは、「自分の審美眼は、どんどん肥えていく」と思っているだろう? 違うんだよ。歳をとればとるほど、審美眼や感受性なんて減衰していくんだよ!

だから、低空飛行でもいいから地面に落下したくなかったら、地道に勉強していくほかない。そして、勉強しても、低空飛行が精一杯なのだと認めること。
いつまでも若い気でいる年寄りほど、見苦しいものはないよね。